9.08.2009

戦争報道は隠さずに行ってほしい

 自分の子どもが戦場でなくなったときの写真が報道されたら、遺族の悲しみを深くしてしまうのか。
写真や映像は戦争の悲惨さを伝えてくれる。かつてベトナム戦争は、各国の報道カメラマンが決死の覚悟で、米軍とベトコン(北ベトナム、南ベトナム民族解放戦線)に入り込んで、戦争の生の映像を撮り続けた。そして多くの記者が、戦争によって命を落とした。
 1枚の写真がベトナム反戦運動に火をつけ、全世界からベトナム反戦の声が上がり、本国米国でも10万人規模のデモが行われるようになって、厭戦気分が広がり、米軍の敗北を以ってベトナム戦争は終わった。北ベトナムが勝った戦争ではなく、負けなかった戦争である。
 米国はこれに懲りて、報道管制を引き、従軍カメラマンの映像を検閲もしくは没収するようになっていった。湾岸戦争では、油まみれになった渡り鳥の映像を世界に配信した。これは後に、後からでっち上げたものだということが分かっている。捏造写真だったのだ。
 高射砲弾、ミサイルが飛び交う夜の映像、その下でどんな状態になっているのか想像できない世界を作り出していた。
 戦争報道、それはいまでは個人ジャーナリズムに寄りかかっている。大手の新聞社、テレビ局などは、危険地帯に報道記者を送り出さなくなっているからだ。フリーのジャーナリストに負ぶさって、戦場の映像配信が成り立っている。

 戦争は、もうやめてほしい。地球人同士が殺しあうなんてもうたくさんだ!

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