7.19.2011

音楽は人の心をときめかせたり、癒してきた歴史があります

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ポップスの歴史がよく分かる一冊。

7.14.2011

菅首相が唱えた原発に依存しない社会造り

 菅首相が記者会見で脱原発、原発に依存しない社会を作ると公言したことに、根回しがなかった民主党内からも反発が出ていたし、自民党からは独裁者気取りだという声もあった。
 誰が原発を作り、原発政策を進めてきたのは自民党、自分たちだということを忘れている。自民党よいい加減に責任を取れ!

7.09.2011

原発行政の迷走

 3月11日東日本を襲った地震の後の東北地方の津波は町や村を根こそぎ押し流していった。陸に打ち上げられた漁船、海に流されていった自動車、鉄骨だけ残るコンクリートの建物だった残骸。復興の兆しは見えても4ヶ月が経とうとしている今も瓦礫の山は復興の妨げになっている。
 そして復興が遅々として進まない理由の一番が、福島第一原発事故だ。菅総理は事故を受けて原発からの撤退はありえないとはじめの内は言っていた。が、世論の動向と退陣要求が声高になってくるにしたがって、浜岡原発の停止を中部電力に要請し、中部電力は苦渋の選択で浜岡原発を完全停止した。しかし、他の原発設置県の知事や、設置市町村長からなぜ浜岡だけ止めて他が安全だといえるのかという声が上がってきた。
 継続可能な電力エネルギー開発への転換が、近々の課題となって浮かび上がってきた。原発解散はあるのか、憲法上の決まりごとの上にしくしくと政権運営をやっていくと、解散権は私が持っているという脅しをかけたように見えた国会答弁。
 福島原発が地震のときは自動停止したというのも嘘だったし、ベント装置の不備もあったし、放射能漏れもたいしたことはないと周辺住民の自宅待機を強要したのは誰だったのか。避難区域が指定され住民の強制移動が実施されたが、海水を注入して爆発するのを止めているような状態から、外部電源復活、循環型汚染物質除去装置の導入と目に見えていることは分かっていても、放射性物質の拡散とその終息は見えてこない。
 そんな中、海江田経産大臣は原発再稼動に安全サインを出して、佐賀県知事、玄海町長の説得に当たった。玄海町長は説得に応じて原発稼動再開に、同意した。しかし、国が全原発のストレステストをやると発表したことから態度を翻し、稼動に待ったをかけた。
 この間国が主催するテレビ放送で、原発の安全性、玄海原発の再稼動によってこれだけの利益が得られるという放送があって、視聴者からの意見を募集していた。ここに九州電力関係者から原発賛成の立場から、会社のパソコンではなく、自宅のぱそこんを使ってメールをするようにと4つの子会社にメールしていた事件がおきた。やらせメールである。国会で共産党議員が、政府幹部たちにこんな事実があったのを知っているかという質問をして発覚し、海江田大臣はしかるべき処置を取ると明言した。
 九州電力社長の記者会見があり、メールが本当にあったのか、誰がメールしたのか、社長の指示があったのかが鋭く記者団から追及された。ノーコメントを繰り返していた社長は、一枚のメモを渡されると一転して私は指示していないこと、誰がやったであろうとも私に全責任があるとはっきり明言した。
 九州電力本社内で犯人探しが始まって、6月末で退任していた二人の副社長の指示があったこと、その指示を受けて課長クラスが4社の子会社にメールしていたことが分かった。やらせメールをすれば、原発再開ができるとでも思ったのだろうか。ことは社長の辞任決意まで発展したが、会長は慰留するという。
 原発という負の遺産は、地震大国日本にいらない、六ヶ所村の再処理工場もプールがもう満杯に近い状態なのに、高速増殖炉の稼動のめどさえ立てられない現在の状況では、プルサーマル計画の実施など夢のまた夢である。猛毒性を持ったプルトニウム再生産工場と貸した日本列島、もはや原発全停止はまったなしだ。

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